高台に住み今震災で難を免れた吉田力男さんによるお話しは災害への教訓という視点で示唆に富む。
(1) この地域の津波は親切な津波である。地震が起きてから30分後にやってくる。30分あれば逃げることは可能であり、命を落とすことはない。
(2) 自分のひい爺さんは明治16年から19年にかけて今の場所に家を建て泊里の平地から移転した。移転前の土地のあたりは明治29年の大津波に襲われ、家や住んでいた人たちは大きな被害を被った、その後、昭和8年の大津波のときも、今度の3.11のときも、そういう意味では、被害を受けて高台に移転した人、移転した人の後に住むようになった人、そしてまた被災する、ということが繰り返されている。今、高台移転しようとしている土地の多くは、縄文時代に縄文人が暮らしていた遺跡の場所である。縄文人は安全な場所に住んでいた。縄文時代は明治以降のように経済活動に暮らしが左右される社会ではなかっただろうから、経済活動に便利な浜の近くを集落にする必要もなかったかもしれないが・・・。
(3) 3.11の大津波で学校や病院、役所など重要な施設が被害にあった地域があるが、その点末崎は、保育園、小学校、中学校、公民館などがすべて高台にあったので被害を逃れている。そういう意味で末崎の先人は偉かったと思う。
(4) 自分たちは水(井戸)も食料(野菜やコメ)も燃料(木)も人の繋がり(近所、自治公民館)があるので、大災害にあっても家や地域として持ちこたえ、生きていける。都会はどうなんだ、大災害が起きたら生き延びることができるのか・・・心配だ。
(2014/7/26収録)