館報まっさき 第230号(平成26年1月20日発行)

・ 今年こそは 末崎地区公民館長 近藤 均
・ 市内初 防集竣工式
・ 踏切一時停止遵守
☆ なかよし親善ラージボール 卓球大会
☆ シャフルボード大会
☆ 町民ひなまつり
☆ デジタル公民館まっさき支援活動
☆ 霞が関ナレッジスクエアからのライブ中継
☆ 癒やしの会
・ 末崎の風土散策(19)~たきの神〔太鬼丸〕にいて~

今年こそは  末崎地区公民館長 近藤 均

新年明けましておめでとうございます。
 大震災の被害を受けてから間もなく3年が経過します。町内では災害公営住宅の建設、入居希望仮申込が始まり、防災集団移転団地の造成が進んでいます。
 船河原から平までの県道新設計画は市道と県道との交差をどうするかなど課題があり、まだ工事計画が確定してない部分もあって県と市で検討を重ねており、決まった地域から説明会を開催し住民に説明するよう要望しています。
 小学校付近から碁石方面への計画は確定し、関係住民説明会が終了し、土地所有者の了解を得た部分から測量を行い、工事着工するようです。
 市では、これとは別にまちづくりの計画策定を進めていますが、地域から計画が出されればそれについて可能か、どの予算を使えば出来るかなど検討すると話しています。
これは使用期限がついている予算で執行するので、出来る限り早く計画を出さなければ、実現が難しくなります。
 末崎町として、住んで楽しい、安心して住めるまちづくりを目指して、子どもが遊べる海浜公園とか、中央に商店街など、こんな施設が欲しいと具体的に提言をお願いします。
 みんなで思っていることを出し合って「あたらしい末崎」をつくりましょう。

市内初 防集竣工式

 1月14日、市内21地区防災集団移転先で初めて小細浦集団移転団地8戸分の造成が終え竣工式が行われました。今後、登記などの手続きを経て、来月には住宅建設が可能になるとのことです。
 市では26年度中にすべて着工するとしており、3月完成予定の門之浜に続いて町内6地区の完成が待たれます。

踏切一時停止遵守

 BRT運行開始後、町内の踏切で、一時停止をしないためバスと衝突する事故が2件発生しています。
 バス専用道路は、鉄路と同じで、横断する場合一時 停止し左右を確認し通過することになっています。
 違反すると反則金が、事故を起こすと損害補償が生じます。
 決まりを守って通行してください。

☆なかよし親善ラージボール 卓球大会

日 時 2月25日(火) 9時45分~12時
開会式 9時45分
場 所 ふるセン 体育室
大会規則
  (1)ダブルス戦とする
  (2)3セットマッチで行う
  (3)予選ブロックの勝者による決勝ブロック戦で勝者を決定する
表 彰 3位まで表彰
    全員に参加賞  
参加料 無料
参加資格
   末崎町民であれば誰でも参加できます
参加申込み
   ふるセン(29―2955)
   田 畑(29―2323)
   試合当日までに申込み

☆シャフルボード大会

日 時 2月28日(金)
    集 合 9時45分
    競 技 10時~12時
場 所 ふるセン 体育室
競技方法
   予選リーグの上位者による決勝トーナメント戦またはリーグ戦で勝敗を決する
参加料 無料
参加申込み 当日受付

町民ひなまつり

日 時 2月23日
 日曜日 午前9時~
場 所 ふるセン
内 容 おひな様を鑑賞しながら人形劇・お茶を楽しみます
    お気軽にご来場ください

☆デジタル公民館まっさき支援活動

 1月11・12日に行われた活動報告を公民館のサイトで公開します。また、期間中に、金野靖彦氏(酔仙酒造会長)に酒造の再建や酒と日本の文化・精神について、近藤均氏(末崎地区公民館長)に末崎地区の近況や今後の復興計画について大和田弘樹氏(ごいし荘別邸 海さんぽ常務)に宿の再建への意気込みや地域にかける思いについて、それぞれ講演して頂きました。近日中に講演を映像で公開します。是非ご試聴ください。

☆霞が関ナレッジスクエアからのライブ中継

◆キャリア教育番組エキスパートスタジオ
~豊かな人生経験を活かし人生二周目は僧侶として社会に恩返し~

日 時 1月30日(木)
    18時30分~20時00分
場 所 ふるセン 会議室
講 師 柴田 文啓氏
    臨済宗妙心寺派開眼寺住職
※麟祥寺と同じ宗派です

☆癒やしの会

期 日 2月8日(土)・22日(土)
時 間 13時~16時
場 所 ふるセン 和室
※裁縫道具を持参してください

末崎の風土散策(19) ~たきの神〔太鬼丸〕にいて~

 延暦21年(802)征夷大将軍:坂上田村麻呂が、悪逆非道の鬼と呼ばれた平泉達谷窟の悪路王、そしてその眷族とみられた気仙の3悪党(気仙3観音)矢作の照井、小友の早虎、猪川の金[丈](「丈」の右肩に点を打つ)丸をそれぞれ征伐しているが、それから更に時代が下って、文治・建久(1185~)の頃、末崎細浦舘が崎にも鬼が住んでいた。
 細浦湾と小細浦湾を二分して海に突き出た、舘が崎の高台に太鬼丸と云われた鬼が居を構えており、周辺の住民を乱暴に支配し、専横を極めていた。その場を通りかかった、紀州の国(和歌山県)熊野権現の修験者(山伏)役頼乗{えきのらいじょう}が、これを大いに憂い遙かに紀州の神に祈り、太鬼丸を呪咀し、ついに斃したのであった。住民達は大変安堵し太鬼丸を供養しているが、その場所は神坂熊野神社裏を100米程北にある舘が崎の「たきの森」と云う所で、松木立の中に「祀太鬼之神」と彫刻された碑が建っている。

 末崎は箱根山の東南部に開け、丘陵が多く、平野が少ない三方が暖かい海流に恵まれた、比較的温暖な郷である。従って旧石器時代、縄文時代から先住民(蝦夷)の安住地であって今でも蝦夷屋敷、名越遺跡と呼ばれている所があり、また、末崎だけでも15ヶ所も貝塚遺跡等がある。太鬼丸の居処の舘が崎も、西方に峰岸遺跡、内田貝塚、細浦上の山貝塚、細浦祭祀跡《熊野神社境内西の天然記念物「かやの木」下から南西の県道辺り》、東方には小細浦貝塚、鬼塚貝塚(山岸)等があり、太鬼丸は「たきの森」の高台から左右の蝦夷集落を横目で見下し、意のままに暴れ回っていたと考えられる。。「祀太鬼之神」の碑は熊野神社後方の少しきつい山坂を登った松林の中に建っており、地域の人達からは『たきのかみさま』と呼ばれ、赤ん坊の夜泣きにご利益があると、馴れ親しんで参拝者が絶えることがない。(聖)