津波から身を守る心得
16日午後11時36分、マグニチュード7.4(震度6強)の地震が発生した。震源は福島県沖、深さ57㎞。東日本大震災以来の大きな地震で沿岸地方住民を大変な恐怖に陥れた。その中で安堵したのは東京電力福島原子力発電所において放射線量に大きな影響を及ぼす事故は発生しなかったことと、大津波が襲来しなかったことである。
11日には東日本大震災から11年となり、コロナ禍の中であるが各地で追悼式が行われ、末崎町中森にある麟祥寺でも午後1時から東日本大震災物故者追善供養が執り行われた。あの日から11年経ったが今も当時の悲惨な光景が目に浮かぶ。特にも大切な人を失った人にとっては、いまも昨日のことのように感じていると思っている。
今後このような災害にならないように11年前の経験を生かし一人の犠牲者も出さない防災に努めなければならない。
そのためには、住民一人ひとりが津波で大切な命を失わないために、適切な避難行動をとることが重要である。あらためて、その避難に当たって心得ておくべき基本的事項を列挙してみたい。これは筆者が幼少期、祖父から地震が発生するたび聞かされたことであり、今なお、脳裏に焼き付いているものである。ご参考にして頂ければ幸いである。
避難の心得
1地震が発生したら、家から外に出るため玄関の戸を開けるなど出口を確保する。
2外に出る時は、可能なかぎり靴など履物を履くこと。(落下したガラス等の破片でケガしないようにするため)
3避難する時は、一目散に高台に避難すること。震源地が三陸沖だと津波はすぐ来るから「はやく高台に逃げよ」ということである。この気仙地方には「てんでんこ」という避難の心得がある。自分の身は 自分で守る。生きてさえいれ ば、家族のため地域社会のた め貢献できるからである。
4避難する時は、川添は逃げ ないこと。津波は川から遡 上するので最も危険である
5一旦避難したら忘れ物あっても取りに戻らないこと。 戻って忘れ物を探すのに時間がかかり津波に飲み込まれる危険が大である。戻った人のほとんどは帰らぬ人になっている。
6揺れが小さくても、揺れが長く続くようであれば津波が来る可能性が高いこと。震度の大きさだけで判断しないこと。(明治の大津波も震度2~3程度だったといわれている)
現在では、昔と違って高層の建物が多くなって街並みも変わってきている。ブロック塀の所もある。家の構造と生活様式も変わってきているので、その状況にあった避難行動が求められる。以下も追加しておきたい。
7高い建物のそばを通らなければ避難できないという場合は、頭上から落下物があるかもしれないので、帽子を被るなり、タオルなどで頭を覆うなどすること。可能な限りそういう場所や塀のそばなど通らないことや止むを得ず通らなければならない時は、できるだけ離れて通ること。
8二次災害を防ぐために、可能な限りガスの元栓を 閉めること。コタツなどは線を抜くなどして、火災を防止すること。いずれ避難のあり方を日頃から家族で話し合い確認しておくことが大切である。また、防災に対する意識を植え付けるには、少なくとも小学校1年生から機に応じて津波の恐ろしさと避難のあり方を何度も話して脳裏に焼き付けることが重要である。幼少期であれば子供たちのハードデスクに入って生涯消えることはない。そのことによって子供たちは生涯、自らの命を自ら守ることができ幸せな人生を送ることができる。また、次世代に引き継いでいく力ともなるのだから。
いずれ、備えあれば憂いなしだ。