■活気あるまちの実現に向けて
■27年度大船渡市予算要望
■碁石・大船渡病院間バス運行
■碁石海岸駐車場整備始まる
☆なかよし親善ラージボール卓球大会
★いやしの集い
★デジタル公民館まっさき活動
◇パソコン・ネットよろず相談
◇気仙ボケ一座20周年記念公演
◇第3回『ごいし民俗誌』勉強会・懇談会
◇ふれあいキッズデー in 居場所ハウス
・町民ひなまつり
■末崎の風土散策(31)
~伝説寿の松(手代之松)について~
活気あるまちの実現に向けて
今年は、市内全域で、防災集団移転住宅地の整備が終わり、住宅建設が始まります。
また、災害公営住宅も建設が進み、来春には希望者の入居が進む予定です。
町内では被災跡地利用計画や新しいまちづくりの計画を振興会を中心に、町民総参加で話し合いを深め、住んで楽しく活気あるまちの実現のため関係機関に要望し実現を図らなければなりません。
子どもから高齢者まで、こんな施設を作ったらとかスポーツ施設を整備したらなど提言をお願いします
27年度大船渡市予算要望
末崎町振興会では、10月に末崎町としての予算要望を市に提出し、12月末にその回答が示されました。
ほとんど復興工事優先で地域公民館などからの要望は、今後検討するとのことでした。これからも機会あるたびに継続して要望をしていかなければなりません。
碁石・大船渡病院間バス運行
9月から末崎町コミュニティバス実験運行が開始されていますが、利用者から大船渡病院など盛方面に行く際、乗り換えなど不便であるという声を受けて、市では県交通に要望し、次のとおり運行しています。
運行時刻
碁石発 7:00 立根着 7:54
立根発 13:30 碁石着 14:24
〃 18:00 〃 18:54
いずれも大船渡病院・盛駅経由
碁石海岸駐車場整備始まる
環境省では、碁石海岸の駐車場を整備することになりました。
詳しくは1月20日発行の市広報に掲載されますが、大型バス用駐車場として広場を舗装します。(イベント時は広場として活用)
桜の木も一部伐採し新しく植栽するなどの計画で、工期は3月20日までとなっています。
☆なかよし親善ラージボール卓球大会
日 時 2月24日(火)
9時45分~12時
開会式 9時45分
場 所 ふるセン体育室
大会規則
(1)ダブルス戦とする
(2)3セットマッチで行う
(3)予選ブロックの勝者による決勝ブロック戦で勝敗を決する
表 彰 3位まで表彰
全員に参加賞
参加料 無料
参加資格
末崎町民であれば誰でも参加できます
参加申込み
ふるセン(29−2955)田畑(29−2323)試合当日までに申込み
★いやしの集い
期 日 2月14日(土)
2月28日(土)時間13時~16時(両日共)
場 所 ふるさとセンター
調理室
※裁縫道具をお持ちください
★デジタル公民館まっさき活動
◇パソコン・ネットよろず相談
パソコンやインターネットの使い方など、お困りごとに何でもマンツーマンで解決まで対応します。
日 時 2月14日(土)
15時~17時
18時30分~20時30分
2月15日(日)
13時~16時
◇気仙ボケ一座20周年記念公演
認知症による物忘れの特徴やそのケアのコツなどをユーモアたっぷりの寸劇で楽しみながら、身近にある認知症との付き合い方を学びます。
日 時 2月14日(土)
13時30分~15時
◇第3回『ごいし民俗誌』勉強会・懇談会
「ごいし民俗誌」で、泊里五部落・1年の行事あれこれ・移り変わる風景の調査及び全体の取りまとめを行った、今石みぎわ研究員(東京文化財研究所)のお話と地域の暮らしや文化について懇談します。
日 時 2月15日(日)
9時30分~12時
※ここまでの会場はふるセンです。
◇土曜日子ども活動
~ふれあいキッズデー in 居場所ハウス~
語り部による伝統的な雛人形や高田人形のお話、桃の節句の唄や踊り、雛人形づくりなどで楽しみます。
日 時 2月21日(土)
13時30分~15時
場 所 居場所ハウス
町民ひなまつり
おひな様を鑑賞しながら人形劇・お茶を楽しみます
日 時 2月22日
日曜日
午前9時~
場 所 ふるセン
お気軽にご来場ください
末崎の風土散策(31) ~伝説寿の松(手代之松)について~
今から162年前の嘉永5年(1852)8月23日、仙台の第13代太守松本佐奥守慶邦公が気仙地方の巡視の際、村民は船河原、丸森の村境までお出迎えし、今泉方面に向かう途中、細浦の金山澤、肝入滝田清太夫宅でご休憩されているが、この時にお迎えのお供について、泊里八幡の下の組頭菊松老人(屋号古磯大磯家)から、伝説の寿の松(千代へ松)の由来について、国守に次のようにご説明申し上げている。
細浦から追堀坂を上り平地域に越える頂に、石の地蔵様が鎮座しており、その筋向かいに昔から千屋敷という旧家があった。屋敷の築山には大きな1本の老松が生えており、道を行き交う人達はこの松の下で、暫し松韻に浸りながら憩うのであった。巡視やお殿様の一行も折りには、松の枝に槍ぼんぼりを手代りとして立て掛け休憩するので、いつからか俗に「手代へ松」と呼ぶようになったと云う。
然るに、或る晩、琴を弾く芸者がここを通りかかり、千屋敷に宿泊して琴を弾くことになったので、この家の主人が、この際だから隣近所の人達にも聴かせ楽しませてやろうと、下男に云いつけ、築山の大きな松の木の上から、「琴」弾きが来たから皆来いと、大声で叫ばせたという。ところが地域の人達は千屋敷に「事」が出来たから皆来いと聞き違え、これは大変だ、何事か起きたらしいと、皆驚き慌てて駆け集まって大群衆となった騒動があったという。やがてこの事があってからは、千屋敷では結局良からざることばかり続き、遂には暮らしが思うようにならず、この土地を手放し、他所に移住するようになったという言い伝えである。
※江戸時代の末崎は三方を海に囲まれ、南は三猿峠、西は通岡峠北は乙坂を登って丸森の村境と、何れも車輌等の通行不可能な道であり、殿様一行とて大難儀の旅であった。従って、難所や長旅を来てこの松に辿り着き、大船渡湾や五葉連峰の展望に、暫時の息をついた所と考えられる。
※追堀坂を上り平地域に越える頂にある地蔵様は、文政10年(1827)5月8日新沼屋(元千屋敷で現在は内田の屋号しも)で建てた地蔵様で、世話人は後田中与藤太(神坂新沼家)外と台座に刻まれている。祠は近くの屋号、上の屋敷平野金次郎(光輝さんの父)が昭和59年ころ寄進している。なお祠内に地蔵様の頭らしきものがあるが、これは屋号茶畑、新沼鉄之進さんが近くで見つけ同祠に安置したものである。
※千屋敷の築山の石1ヶは現在も残されているが、寿の松(千代へ松)と云われた老松は明治の初め頃、地主によって伐採され今は見ることは出来ない。(聖)