・ 交差点改良工事終わる
・ 市に予算要求
・ 碁石海岸口駅に新設
・ 危険災害区域の設定に係る地区説明会終わる
☆ デジタル公民館まっさき支援活動
◆ パソコン・ネットよろず相談
◆ 講演会(金野靖彦氏 酔仙酒造会長)
◆ 講話(近藤均館長 末崎地区公民館長)
◆ 講演会(大和田弘樹氏 ごいし荘別邸)
☆ 霞が関ナレッジスクエアからのライブ中継
◆ 新春霞が関寄席
マジックサロン
☆ 癒やしの会
・ 末崎の風土散策 (18)
~伝説「蛇走り山の由来」について~
交差点改良工事終わる
小学校校門前の交差点が変則で、中学校方面から碁石方面に右折する大型車輌は、通行に苦労していましたが、市で改良工事を進め、歩道と併せてこの度工事が終了しました。
信号機も移転しましたので確認しながら進行・停止してください。
また、歩道も新設されました。
小学校から中学校方面に行く場合は、少し門之浜方面に行って渡ることになります。登下校時は交通指導員、スクールガードの皆さんが指導、誘導をしてくれますが、家族でも子どもと一緒に歩いてみてください。
保育園側から細浦方面へ左折の場合、歩道が新設され狭く感じると思います。徐行しながら安全に走行してください。
これは、新設計画が出ている碁石までの道路が完成するまでの暫定的なものとなっています。
市に予算要求
振興会では、市に平成26年度の予算要求を行いました。
地域公民館から提出された道路・水路・漁港・環境・観光・施設関係や日常課題など40項目にまとめ市長に提出しましたが、残念ながら新年度予算に計上して対応するという項目はなく、今後検討していく、緊急度、優先度を考慮し計画的に整備していくとの回答が多く、今後も粘り強く要望を続けていかなければならないと思いました。
碁石海岸口駅に新設
碁石海岸口駅の待合室とトイレの新設工事が行われています。近々完成し、BRT利用の不便が解消されます。
危険災害区域の設定に係る地区説明会終わる
碁石コミュニティセンター、ふるさとセンター、小細浦公民館で開催時説明に用いた図面を各会場に掲示していますので、参加できなかった方はご覧ください。
☆デジタル公民館まっさき支援活動
◆パソコン・ネットよろず相談
パソコンの使い方からインターネットまで、お困りごとにITボランティアが個別に解決まで対応します。
メール・FacebookなどのSMS活用講座やパソコン・インターネットを安全にご利用頂くための解説なども行います。
どなたでも、お気軽にご参加できます。
日 時 1月11日(土)
9時30分~12時
13時~16時
1月12日(日)
9時30分~12時
◆講演会
酒造の再建についてお話しを伺います。講演会の後、参加者による交流会を予定しています。
日 時 1月11日(土)
18時30分~20時30分
講 師 金野靖彦氏 酔仙酒造会長
◆講話
末崎地区の近況と公民館活動について述べます。その後意見交換を行います。
日 時 1月12日(日)
13時~13時30分
講 師 近藤均館長 末崎地区公民館長
◆講演会
再建した民宿『海さんぽ』のこれからについてお話しを伺います。
日 時 1月12日(日)
13時30分~15時30分
講 師 大和田弘樹氏 ごいし荘別邸海さんぽ常務
会場はいずれもふるさとセンターです。
参加費は無料です。
☆霞が関ナレッジスクエアからのライブ中継
◆新春霞が関寄席
マジックサロン
テレビ出演も多い中島弘幸さんによるマジックショーが無料でご覧いただけます。
日 時 1月22日(水)
19時~20時30分
場 所 ふるさとセンター
☆癒やしの会
期 日 1月10日(金)
1月24日(金)
時 間 13時~16時
場 所 ふるさとセンター
※裁縫道具を持参してください
末崎の風土散策(18) ~伝説「蛇走り山の由来」について~
その昔、末崎の作沢の山の上から蛇が走り出て来てから、山の名を蛇走り山と呼ぶようになったと云う。
由来は、或る時一日中風雨が続いて暗闇のようになり、突然大水が出て山や谷が瑶れ、家々の鶏は一斉に鳴き騒ぎ、背中に竹林を背負った大蛇が走り出てきて、大蛇は途中で竹林は落とし、そのまま烏崎の方に走ってゆく様子を見た作沢の屋号「しも」の人が、急いで弓矢を持ち、「葦毛の馬」に乗って追い駆けたが、追い付けず大蛇は小友村の東の端にある、みんぜん浜から海に入り大蛇の姿は見えなくなり、何も出来ずに戻ったと云う。この時からその崎を「蛇が崎」と呼ぶようになった。また、作沢では葦毛馬と鶏を飼わないようになったと云う。これは山津波の際に大蛇が走り出たものを、伝説として書き残したものである。
以上が末崎村誌に記載されており、これを読み易く書き直したものである。
この伝説の大水が流出した場所は、小田の天神山と愛宕山の中間で、峰下にある採金坑道とみられる所で、高さ6米程の採掘穴であるが、現在は土石等に埋め塞がれて見ることは出来ない。当時大雨で坑道に溜まった水が一挙に土石や竹やぶを巻き込んで落下し、作沢部落を襲ったと考えられる。今でも下方には金堀達が洗い流したと思われるカーラゲ土堤と云われる池(簗場)や金畑、カネ・カノネ等の地名が残されている。
また、みんぜん浜は小友の蛇が崎と書いてあるが、これは広田の黒崎から200米程沖にある根(海面下の暗礁)で、人参(みんぜんと読む)のことと考えられる。
なお、金銀等の試掘・採掘者には許可が必要であり、末崎では元禄3年(1890)頃に、木製の鑑札を13枚(76人)交付されており、末崎でも盛んに金探しが行われていたことが分かります。(聖)