第1回「民俗誌講座」「ごいし民俗誌の解説」(久保田裕道氏)
ふるさとの記憶をたどる「ごいし民俗誌」から
2014年5月18日(日)
講師 久保田裕道氏
(独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所 無形文化遺産部無形民俗文化財研究室長 博士)
会場 末崎ふるさとセンター
「民俗誌講座」(51分56秒)
「ごいし民俗誌の解説」(21分34秒)
「ごいし民俗誌発刊後の意見交換会」 (43分48秒)
津波により甚大な被害を受けた岩手県大船渡市末崎町(通称まっさき)も、高台集団移転事業や高台道路計画が具体化し、ハード面での再建は見えてきました。しかし、暮らしや心の復興といったソフト面では、まだまだです。
2012年度(6月)〜2013年度の2年間、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所無形文化遺産部が碁石5地区(旧泊里5部落)を調査し取りまとめた「ごいし民族誌」を題材に、村の記憶、土地の記憶、海の1年、気仙大工による住まい、祈りと祭りなどのふるさとのあらましをたどり、復興の町づくりを考えます。
第2回「震災と民俗学」「古地図を読む」(俵木 悟氏)
2014年9月1日(月)
講師 俵木悟 (成城大学准教授/ごいし民俗誌「祈りー祭り行事と信仰」調査・執筆)
企画協力: 碁石地区復興まちづくり協議会
震災と民俗学(21分35秒)
古地図を読む(41分58秒)
2011年度~2013年度の3年間、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所無形文化遺産部が碁石(ごいし)5地区(旧泊里5部落)を調査し取りまとめた「ごいし民俗誌」を題材に、村の記憶、土地の記憶、海の1年、気仙大工による住まい、祈りと祭りなどのふるさとのあらましをたどり、復興の町づくりを考えた。
はじめに、俵木先生から「ごいし民俗誌」が制作された経緯を時系列順に説明が行われた。被災や高台移転により、まちの風土・文化・地域コミュニティが変容していくことを危惧して、民俗文化の調査が行われた流れからも、この民俗誌を復興における新しいまちづくりの一助として活用して欲しい旨が述べられた。
次に、「津波と村」(山口弥一郎氏:昭和18年発行)などを例に、震災や津波等の大災害に関わる民俗学の役割、意味について説明があり、後半では、「ごいし民俗誌」の読み解きとして、泊里地区の熊野神社絵図の解説が行われた。絵図に描かれている内容から、神社と泊里地区の関係、村の祭り、古い地名、また絵図の描かれた時代などまるで謎解きのように次々と解説が行われていく様子に大いに盛り上がった。
最後に、「ごいし民俗誌」をもとにした今後の民俗調査の取り組みについて参加者との意見交換が行われた。俵木先生からは、すでに書かれている内容に補足するかたちの調査(例えば、旧泊里地区の碁石地区に関してなど)、また、例えば地域の農業など本誌にはまだ書かれていない全く新しいテーマに関する調査、と進め方はそれぞれ考えられるが、焦らず無理の無いかたちで興味を広げていっていただければとの意見だった。
俵木講師コメント:
私の講演は「『ごいし民俗誌』勉強会」というタイトルではあったが、そもそもは私たちが地元の人たちの話しを聞いて、その教えの一端をまとめたに過ぎない冊子が題材であったから、今回の講演は、生徒としての私が先生である地域の人たちの前で行う口頭試問のようなものだと思ってお話しさせていただいた。勉強になったのは明らかに私の方である。幸い、少いながらもその場に来ていただいた地元の人たちからは概ね悪くないという感想をいただけたので、なんとか及第点をもらえたのだろうと思う。ただし、講演の中でも説明したとおり、この冊子は綿密な計画にもとづいてこのような形になったというよりも、様々な出会いや発見に導かれて、いわば成り行きでこうなったものである。『ごいし民俗誌』は完成品ではなく、このような調査を行った、その足跡くらいのものだと思っている。
その意味で、講演後のディスカッションで、色々と不足(あれが載っていない、というようなこと)を指摘されたのは、むしろ有難いことだった。さらに、これを碁石地区の人びとが自分たちでバージョンアップさせていってくれることをその場で表明してくれたのは、本当に心強いことであった。まだまだ話しを聞いていない人がいるし、聞いていないことがある。地元の人たちが自分たちでそれを掘り起こしてくれれば、そのきっかけになったということだけでもこの冊子を作成した意味が大いにあったと言えるだろう。ただ、あまり無理をされないように。はじめから成果を追わないように、できればお願いしたい。自分たちの過去の生活を聞いたり話したりするのを楽しむ、というスタンスを忘れないでやっていただけたらと思う。
講演そのものとしては、調査の過程でたいへんお世話になった方々が集まってくれて嬉しかったが、もっと多くの人、例えば私たちが話しを聞かなかった人たちなども参加してくれればよかったと思う。せめて碁石地区内で開催できたらという思いはある。講演の翌日に一人で碁石地区に足を運んだが、そのとき会った何人かの人は、この講演のことを知らない様子であった。こういった活動やその成果を、インターネットとかソーシャルメディアとかいうカタカナ言葉と縁の薄い人たちにどうやって届けるかを、もっと真剣に考えなければいけないと感じた。
第3回「暮らしの記憶を記録する」(今石みぎわ氏)
2014年2月15日(日)
演題:「暮らしの記憶を記録する ごいし民俗誌その後」
講師:今石 みぎわ(東京文化財研究所 無形文化遺産部)
企画協力:碁石地区復興のまちづくり協議会
はじめに碁石地区(旧泊五部落)の昭和23年、昭和50年、平成22年の航空写真を示し、丘から海へ風景の変化 =暮らしの変化について説明。
暮らしの記憶を記録する(48分00秒)
昭和30年代に小松藤蔵氏が考案・確立した養殖わかめ生産手法の普及により、生活基盤は養殖わかめ業となり、安定化が進む。このことにより20年代には浜辺の周辺まで広がっていた畑が減少し、植林により森が増えている。航空写真による景色の変化は暮らしの変化の表れであることが良くわかる旨、強調。記憶を記録することの重要性について、以下の事柄を事例に出席者に訴えた。
・ 蛇落地(上楽地)と 悪谷(足谷)の話
・ 様々な地名とその歴史
…チヨメ泣かせ、熊野浜、座頭山
・ 屋号が伝える歴史と移動
…イドバタ、チャバタケ
由来伝承・変遷とともに残していくことが大切
・ 家と暮らしの密接な関わり
…土間と旅芸人の話
…家とハレの行事
・ 気仙大工の建てる家
・ 観光資源としての家並み
・昭和7年の布海苔石名簿
また、ごいし民俗誌のこれからの活動に向けて、この冊子からは抜けている
・地名・屋号の記録
・石碑やお墓の記録
・古い写真や部落文書を集める
・写真に収められたものについての記憶を記録する
などについて、出席者にアドバイスされた。
講師コメント:今石みぎわさん
今回は平成26年3月に刊行した『ごいし民俗誌』について、なぜこういったものを作ろうと思ったのか、またそれぞれの調査の中で何をお伝えしたかったのかについてお話させていただきました。調査の過程ではいろいろな方に本当にたくさんの興味深いお話を聞かせていただきましたが、今回の勉強会でも会場のみなさんから活発に発言をいただき、楽しいひと時となりました。また、今後は地域が主体となって自分たちの暮らしを記録する活動を続けていきたいという機運が高まりつつあるのは本当に喜ばしいことで、この冊子を編んで良かったと心から思います。実は最近、碁石以外のいろいろな地域でも、こうした記録を作りたいという声があると聞いています。震災から四年が経ち、改めて地域文化が持つ役割が見直されてきつつあるのかもしれません。
コメント:大和田拓美さん(山根地区住民)
子どもの頃、浜を通ると石が積んであるのを不思議に思った記憶がある。この石はなんであるんだろうと・・・。それが今日の今石先生の話で初めてわかりました。昔、海苔は石にこびりつけて収穫していたんですね・・・。
コメント:大和田東江さん(西館地区住民)
布海苔の石には花崗岩が使われている。このあたりでは広田半島あたりにあるようです。布海苔は船曳場や波打ち際に投げた板石に付着させて収穫するので、表面が滑らかでまるい石は適していない。
それで表面がざらざらな花崗岩が使われている。いまでも年に数回あり開口日があり、まつも、岩のり、ひじきなどと収穫されている。