昭和28年、大船渡市末崎町の小松藤蔵さん(平成9年没)は戦後の貧困に苦しむ漁業者の生活を助けるため、必要な道具を自費で購入し、わかめの養殖の研究を開始します。自費を投入し続けて、わかめを吊るす縄をいろいろ工夫するなど試行錯誤を繰り返しますが何度も失敗を繰り返していきます。
しかし苦労の末、4年後の昭和32年にわかめの養殖技術を完成し、起業化することが出来ました。小松さんは自身で作り上げた養殖技術を出し惜しみすること無く教え広めました。
末崎町で生まれたわかめ養殖の技術は三陸全体、やがて日本全国へと広まり、数年後には養殖わかめの生産量は天然わかめを上回りました。収穫量が増えることにより収入が増え、多くのわかめ養殖業の人々が貧困から救われることが出来ました。
乾燥から塩蔵へ
それまで、わかめは乾燥させて流通していましたが、昭和40年には同じく末崎町の佐藤馨一さんが、収穫したわかめを湯通しして塩蔵する新しい保存技術を考案しました。乾燥わかめは戻しても固さが残ったりすることもありますが、塩蔵することにより色が鮮やかで柔らかく、塩抜きすればすぐに食べられるようになりました。おいしく便利な塩蔵技術も、三陸から全国へと普及していきました。
先駆者、小松藤蔵氏を讃えて
平成19年、碁石地区の民宿海楽荘の敷地内にわかめ養殖発祥地顕彰碑が建てられ、同年5月4日に除幕式が行われました。
この碑は、わかめ養殖技術を発祥させ末崎町の住民を貧困から救った小松藤蔵さんの業績を讃えるため、地元有志などで組織する若布(わかめ)養殖発祥地顕彰碑建立委員会(会長・志田安雄大船渡市漁協組合長)が設置したものです。 式典には大船渡市長も出席され、祝辞を贈り小松藤蔵さんを讃えました。